草津山 光泉寺のご案内

光泉寺僧職は鎌倉幕府から地頭職を賜い、寺領として白根庄の領有を許されていた。真言密教の寺院である。
鎌倉幕府滅亡後は南朝に仕え、僧兵を率いて合戦におもむいている。南朝の重臣らはこぞって白根大明神に神礼を奉納している。護良親王、新田義貞、楠正成、名和長年、北畠親房、等々である。
南朝衰特微ののち北朝に仕えた。
文明十三年、近衛道興の斡施によって「勅願寺」となって、後花園天皇の勅額、柏原天皇の震翰を賜っている。また、宗祇、宗長、近衛龍山らの草津湯治の宿所でもあった。戦国時代、光泉寺僧職草津氏は猿ヶ京合戦に参戦、功労により上杉輝虎から感状を賜っている。
ご本尊様、薬師如来

釈迦堂

遅咲き如来

以来三〇〇年を経て世に出た仏様であることから、「遅咲き如来」として地域の人々に改めて信仰されております。今まであまり花を咲かせられなかった方々、これからもう一花咲かせたいと願っている皆様、是非お参りし、願いを叶えていただきます様祈念申し上げます。
行基開基の薬師堂

不動堂

鐘楼堂

山門の仁王様 阿形像・吽形像

初代熱の湯湯長野島小八郎の碑

湯泉観音

湯善堂

地蔵菩薩

入浴逝者供養塔

入浴逝者供養塔

湯浴み弁財天

この池はそれにちなみ「慈悲の泉」となづけられ、名湯草津温泉に浴し、身も心も清浄になった喜びと感謝の姿をあらわす、湯浴み弁財天をおまつりした。金光明最勝王経に弁天様は、音楽、弁論、財宝、知恵の徳を司り、古くから庶民の信仰篤く、霊験いともあらたかです。
村越化石歌碑

大正11年静岡県にて出生
昭和16年草津町に移住
昭和24年大野林火に師事
俳人協会賞・蛇笏賞ほか俳壇の各賞を受賞
平成2年点字毎日文化省受賞
平成3年紫綬褒賞を授与さる
近衛龍山公和歌
天正十五年五月、准三宮前関白太政大臣近衛龍山前久公が草津湯治のおり薬師堂に奉納した和歌十首。 巻首に「草津湯治之中、於薬師堂、彼本尊之名号を句之上にすへて、法薬のため十首の歌をよ見けり。」とあり、な、む、や、く、し、じ、う、に、し、む、(南無薬師十二神)の十文字を頭にして、十種の和歌をしたためている。龍山公は筆蹟に秀で、近衛流書道の開祖といわれている。
吉野秀雄短歌
うつせみの命を熱き湯に賭けき 入浴逝者供養塔あはれ
吉野秀雄(1902~1967)歌人、会津八一に私淑、生涯を病気に苦しみすぐれた歌をのこした。「苔径集」「寒蝉集」「良寛和尚の人と歌」などの著書がある。